■コラム目次■
プロローグ
その① 【一期一笑】
その② 【介護はアートだ】
その③ 【和顔愛語】
その④ 【入浴の始まり】
その⑤ 【日本の入浴1】
【日本の入浴②】
仏教の伝来とともに、多くの寺院に設置されたこの「風呂」は“湯屋”と呼ばれその効力は次第に一般に認知されていきます。・・“湯屋”・・聞いたことあるぞ。そうです。『千と千尋の神隠し』の舞台となっているのが“湯屋”でしたよね。神々が骨休めに来る場所といった設定だったような。宮崎駿さんは入浴の歴史まで取り入れているんですね。
話は戻って、「風呂」が庶民に認知はされたものの、なかなか個人としては難しく、江戸中期においては集団浴場“銭湯(お金を取る湯屋)”という形で、庶民の暮らしに溶け込んでいきます。まだ“湯”は、大変貴重で大量の“湯”を沸かすことは困難であったため、蒸気風呂が主流で、下半身のみ湯に浸かり、上半身を蒸気で蒸して垢を出すといったスタイルでした。銭湯は社交の場であり、ひとつの娯楽となっていきます。当時混浴であり、“湯女”という洗体(垢落とし)をお手伝いする女性・・ヘルパー?がいるところもありましたが、蒸気を室内にとどめるため小窓が1、2個だけで入口の小さい“ザクロ口”といわれる風呂の出現により、浴室内に死角ができたため、“湯女”に対するセクハラ行為も出てきた為、度々“混浴禁止令”が出ることもありました(実際に混浴が規制されたのは明治に入ってから)。こういった背景から生まれたのが“三助”という洗体(垢落とし)をお手伝いする男性・・オペレーター?です。
こうして“銭湯”によって庶民に近くなった「風呂」はこの後、“据え(すえ)風呂”という浴室に移動式の桶を持ち込み、お湯または水を汲み溜めるといった式形で次第に個人化していきます。この“据え風呂”には“荷ひ水風呂”といった風呂の出前サービスもあったとか・・。移動式の桶??風呂の出前???
そして、皆さんも聞いたことがある”五右衛門風呂“や“鉄砲風呂”といった形が現れ、
現在の日本のように、「お風呂」は家庭で楽しめるものとなっていきました。
【訪問入浴】
ところで先述の中に、ヘルパー?オペレーター?移動式の桶?風呂の出前?
・・・と聞きなれた言葉が出てきたように思います。そう!訪問入浴です。今、皆さんが仕事としておこなっている訪問入浴は、介護保険というシステムから生まれたものではなく、遥か昔・・日本のお風呂の起源において、すでに原型があったんです。じゃじゃ~ん!・・と勝手につじつまを合わせてみましたが、あながち間違いではないのでは(笑)?とケアマネジャーは言います。「訪問入浴とは洗身。清潔保持だと」確かに間違ってはいません。でも、日本の訪問入浴は、入浴の歴史にあるように社交であったり、娯楽であったり、もっと見えない部分、に働きかけるものでなくてはなりません。
最近、高齢者の看取りケアを END OF LIFE CARE (エンド オブ ライフ ケア)と言ったりします。なぜならTERMINAL CARE (ターミナル ケア)とは癌患者中心の考えで、特に病気で亡くなる直前に施すケアと考えられるからです。皆さんもおわかりとは思いますが訪問入浴は前者です。前者と考えたい。このエンド オブ ライフ・・・生活(ライフ)を含んだ期間に、すこしでも温もりを届けるために、このアサヒの訪問入浴が在り、皆さんが在るということを願ってこのコラムを締めくくりたいと思います。そして、この締めくくりはプロローグの内容へと続きます・・。
約一年間ありがとうございます。かたりべは・・・またどこかで語り続けます。
かたりっぺ

訪問入浴サービスのパイオニア アサヒサンクリーン㈱ コラムトップへ